三菱関連企業のトップのお考えやお人柄をお伝えする連載『トップインタビュー』。第32回は東京海上ホールディングス社長の小池昌洋氏に学生時代やキャリアの話、損保業界の未来や可能性について聞いた。
体を動かすことが好きで、最近はジムに通う。子どものスポーツ観戦も。食べ物は何といってもトマトが大好き。最近読んだ本は『LEAN IN』。
東京海上ホールディングス社長
小池 昌洋(こいけ・まさひろ)
1971年フランス・パリ生まれ。1994年慶應義塾大学法学部卒業後、東京海上火災保険(現・東京海上日動火災)に入社。2004年スタンフォード大学ビジネススクールMBA修了。2017年ニューヨーク(TMR社)駐在(部長)、2019年経営企画部部長、2021年東京海上ホールディングス経営企画部長、2022年同執行役員経営企画部長、2023年同常務執行役員、2025年東京海上ホールディングス取締役社長グループCEO(代表取締役)。
――千葉県のご出身ですね。
小池実は父が転勤族で、私はフランス・パリに生まれました。ただ、2歳までいただけで、フランス語は話せませんし、国籍も所有していません。帰国してからは小学1年生まで千葉県に住みました。小学2年生のときにまた父が転勤となり、今度はアメリカ・サンフランシスコに行くことになりました。
――小学生で行かれたサンフランシスコはいかがでしたか。
小池最初は苦労しました。サンフランシスコ滞在当時、日本人児童は非常に少数で、各小学校に学年あたり一人いるかどうかという状況でした。英語が十分に話せない子どもへの支援体制は未整備で、試行錯誤しながら英語を学び、小学2年生から6年生まで過ごしました。
――そこから、帰国してどちらに行かれたのですか。
小池小学6年生の2学期から福岡県に移りました。日本とアメリカでは学期がずれているため、2つの小学校を卒業したことになります。帰国時はむしろ日本語に不慣れなところがありましたので、親が心配をして、学校は帰国生クラスがあった福岡教育大学付属福岡小学校にお世話になりました。
――中学時代はどう過ごされたのですか。
小池中学受験をするつもりはなかったのですが、担任の先生のアドバイスもあって、ミッションスクールの泰星中学校(現:上智福岡中学)に入学しました。学校が中学を併設したときの一期生でした。剣道部に入りましたが、先生が熱心でよく鍛えていただきました。規律が厳しく、勉強、スポーツ、生徒会といろいろやって充実した学生生活でした。
――中高一貫教育の男子校であり、そのまま高校に進まれますね。
小池父親の転勤のため、高校時代は学校の寮で過ごし、先輩に勧められるがままに野球部に入りました。寮から学校への通学時間は3分。統率に厳しい方が舎監を務めていたので、福岡の街を遊び歩くという概念もありませんでした。運動部にいて生徒会もやるという、いたって真面目な学生生活でした。
大学・社会人時代、バレーボール部に所属していた小池社長
バレーボール選手としてはケガに泣き
社会人になってがむしゃらに働くことを意識
――大学は現役で、慶應義塾大学法学部に進まれます。
小池いきなり東京に出てきて友達もいないので、誘われるがままに体育会バレーボール部に入りました。大学2年生のときにベンチ入りし、期待はかけてもらっていましたが、ようやくというところでケガをして残念ながら選手として十分に活躍することができませんでした。
政治学科でしたが、学生生活のほとんどをバレーボールに費やしました。これは実は心残りのあるところで、ゼミにも参加したかったのですが、時間の余裕がなく、勉強とスポーツの両立は実現できませんでした。
――当時から就職ランキングで大人気だった東京海上ですが、なぜ志望されたのですか。
小池たまたまバレーボール部にOBの方がいて、OB訪問をするなかで、志望を固めていき、この会社はいいなあと思うようになりました。当時はリクルーター制度でしたので、OBから面接官を紹介してもらうかたちでした。結局、東京海上からいちばん早く内定をいただいたこともあり、これも縁だと思って入社することにしました。
――1994年に入社し、最初に配属された部署はどちらですか。
小池商品企画部門の海外再保険営業部に配属されました。当社が日本の企業から引き受けた保険の一部を海外の保険会社に再引受してもらう業務を担っていました。当初はそんな部署が会社にあることも知りませんでした。おそらく帰国生の英語力に期待されていたのでしょう。とにかくがむしゃらに仕事をしました。
――1998年には石油メジャーのロイヤルダッチシェルに短期派遣されていますね。
小池当社とシェルの世界的な取り引きの一環として、3年に1回程度、研修生というかたちで派遣されており、私は3代目でした。ロンドンに財務部門、スイスにシェルグループの保険会社があり、そこに半年間派遣されました。会社のカルチャーには共通点もありましたが、英語環境での業務を経験し、世界的企業であるシェルの保険への期待や考え方を学べたのは、非常に有意義でした。
――若い頃に苦労された思い出はありますか。
小池当時はうまくいっていることもそうでないことも修業のうちだと思っていました。学生時代にバレーボール選手としては大成せずくやしい思いをしましたので、社会人になったら仕事で絶対にレギュラーになってやる。そんな気持ちで入社したのを覚えています。朝から晩まで、がむしゃらに仕事をしました。体力があったからこそできたことだと今思っています。
事業売却でしんどい仕事を経験
円形脱毛症になったことも
――2002年からはスタンフォード大学ビジネススクールに留学されます。
小池MBA留学といえば、通常はファイナンスやマーケティングなど、専門性を深めるために行きますが、私の場合は組織のリーダーとして、チームの力を極大化できるリーダーとはどのようなものなのかを勉強したくて留学しました。リーダーシップスキルについてじっくり考える時間を得ることができたことは、大変貴重だったと思います。
――2004年に帰国されて、その後はどちらに行かれたのですか。
小池航空保険部宇宙保険室に配属されました。入社から8年間商品企画部門にいましたが、会社の事業モデル全体を理解するにあたって、まずは現場の視点から会社を捉える経験を希望し、配属されました。人工衛星やロケットのメーカーなどが取引先で、三菱電機や三菱重工業をはじめ、幅広い企業を担当させていただきました。その後は部内異動で、航空保険の商品企画部門に移りました。
――2014年にはTokio Millennium Re社でニューヨーク駐在員を経験されます。
小池今は事業売却してしまった会社ですが、当時はアメリカでの事業を立ち上げるため、その会社の開設スタッフとして派遣されました。ここで初めて子会社の役員に就任しましたが、これまで経験のなかったITなどのオペレーションも経験することになりました。オフィスはコネチカット州のスタンフォードにあり、ここで5年間過ごしました。
――キャリアを積んでいくなかで、苦労した経験はありますか。
小池先ほど事業売却したと話しましたが、実は私が最後の主席駐在員として事業売却を現場で担当することになりました。売却作業自体は本社が担っていたのですが、私はTokio Millennium Re社の現場の責任者として、40人ほどの現地社員を抱え、採用もすべて自分で行った立場です。そんな仲間に対して事業を売却することを告げることになり、本当にしんどい仕事でした。円形脱毛症にもなりました。裏切られたと感じる現地社員がいる一方で、売却先が評価する人材が離れてしまえば、事業売却自体が成り立たなくなってしまう。ぜひ会社に残って活躍してほしい。しかしそう言いながらも、次の段階で全員を雇用できる保証はない。最終判断は売却先に委ねられており、先の見えにくい仕事で本当に苦労しました。
現場の状況を把握しトップに伝えながら、
トップの思いをどう現場に浸透させるのか
――その後はどうされたのですか。
小池東京海上日動火災の経営企画部部長に就き、中期経営計画の策定などに携わりました。また、東京オリンピック・パラリンピックのゴールドパートナーとしての統括業務についても担当していました。この頃にコロナ禍が始まり、その危機対応事務局の運営も担いましたが、こちらもしんどい仕事でした。社員の安全を守りながら、各拠点のお客様対応態勢をいかに維持するのか、いろいろ苦労しましたね。
――2022年には東京海上ホールディングスの執行役員経営企画部長に就任されます。
小池経営における意思決定がどのようなかたちでなされるのか。あるいは、何を判断基準に経営判断がなされるのか。経営企画部は、社長の事務局を務める組織です。社長がしんどいときにどうやって踏ん張ってがんばるのか。間近で見る経験ができたことは、大変勉強になりました。
また、現場の大変さをトップに伝えながら、トップの思いを現場にしっかりと浸透させ会社を動かしていく差配に難しさも感じました。いろいろな人がいろいろな思いを抱えながら会社は動いているので、その感触を肌で感じることができたことは非常に貴重な経験でした。
――トップになるまでに経営課題についても認識されていたという感じですか。
小池そうですね。とくにホールディングスの経営企画部長として前社長の事務局を担当するようになってからは、グループ全体の経営課題に触れることができましたし、全世界の事業会社の事業モデル自体を学ぶこともできました。自分の視野を広げるにはとてもいい機会になったと思っています。
三菱グループの一員として誇りを持ち、
さらなる進化を成し遂げていく
――2025年に社長に就任されました。これから東京海上グループをどんな会社にしていきたいとお考えですか。
小池おこがましい言い方かもしれませんが、当社はお客様や社会の「いざ」をお守りし、社会課題の解決に資することを使命として、事業活動に真摯に取り組んできた会社だと考えています。また、ここ20年ほどで海外でも大きな事業展開を図っていますが、そうした考えに共鳴できる会社をグループに迎え入れて大きくなってきました。海外事業は現在56の国・地域で広く展開し、約5万人の社員達が活躍しています。今後もさらにグローバルなリスク分散を進め、保険の事前事後の領域も含め、より多くのお客様に安心と安全をお届けしていきたいと考えています。
――最後に読者へメッセージをお願いいたします。
小池我々は1879年の創業以来、保険を通じてお客様や社会の「いざ」をお守りし、その時々の社会課題の解決に努めてまいりました。日本から世界へと事業を広げるなかで、三菱グループ各社とのパートナーシップもグローバルに深化し、私達の事業運営と成長を支える、何物にも代えがたい基盤となっています。今後も三菱グループの一員である誇りを胸に、さらなる進化を遂げ、お客様と社会のあらゆる「いざ」を支える、存在でありたいと考えます。