趣味は読書。愛読書である塩野 七生の『ローマ人の物語』は、欧州を理解するのに役立つのだという。若手社員の頃の愛車はRVRスポーツギア。食べ物は和洋中何でも。特に好きなのはお好み焼きとたこ焼き。お酒も好きな方。
三菱自動車取締役代表執行役社長兼COO
岸浦 恵介(きしうら・けいすけ)
1969年兵庫県生まれ。1993年名古屋大学経済学部卒。同年三菱自動車入社。2014年アフターセールス本部海外アフターセールス第三部長、2016年Mitsubishi Motors Europe B.V. 取締役社長、2018年経営戦略本部経営企画室長、2020年Mitsubishi Motors Europe B.V. 取締役会長、2023年米州本部長、2025年執行役員コーポレート企画本部長、2026年4月代表執行役社長兼COO、2026年6月より現職。
三菱関連企業のトップのお考えやお人柄をお伝えする連載『トップインタビュー』。第35回は三菱自動車社長の岸浦 恵介氏に学生時代やキャリアの話、社長としての会社の目標などについて聞いた。
――兵庫県神戸市のご出身ですね。
岸浦神戸の須磨で生まれました。3人兄弟の真ん中です。幼い頃からずっと野球をやっていまして、近所の子ども達も野球少年ばかりでした。小中高と地元の公立学校に進み、何をやっていたかと聞かれれば、野球ばっかり(笑)。打順は1番でポジションはセンター。野球からはチームワークと努力することを学びましたね。地元の進学校であった県立長田高校は強豪校ではありませんが、のちに後輩が母校の監督となり、2016年に21世紀枠で甲子園に出場しました。昔と比べて今は強くなっています。すばらしい後輩達です。
――その後、名古屋大学経済学部に進まれます。
岸浦ずっと野球をやっていたので、高校3年生の夏が終わって受験勉強を始めたら、数学の教科書問題が解けない(笑)。さすがに間に合わず一浪しました。国公立大学を2つ受験できるようになっていたので関西の大学と名古屋大学を受験、名古屋大学に入ることができました。
関西出身だからか、当時は東京には行きたくなかったのです。その理由がうどんのつゆが濃いから。名古屋だったら大丈夫だろうと思っていたら、もっと濃かった(笑)。でも、慣れてくると、おいしく感じられるから不思議ですね。ひつまぶしやみそかつは最高です。大学時代、入社後の3年間を合わせて7年ほど名古屋に住むことになり、第二の故郷になっています。
――ずっと野球を続けてこられたのに、大学では日本拳法部に入られます。
岸浦当時は、進学校は野球が弱いとレッテルを貼られ悔しい思いをしましたので、大学では個人スポーツを選ぶことにしました。体力には自信があったので、日本拳法部に入部しました。しかし、入ってみて驚きました。最初は先輩達がそんなに強くなさそうだと思っていたのですが、実際、防具をつけて闘ってみるとまったく当たらない。間合いを取られてパンチが届かないのです。軽くあしらわれた後にボコボコにやられました。
2回生になると漸く少しは闘えるようになりましたね。例えば、相手の目とパンチを見ながら闘うので、下から繰りだされる蹴りは目で見て対応することができませんが、感覚で相手の蹴りも判り、防御したり反撃したりできるようになります。ただ、本当に強い人だと、瞬時に技を繰り出してくるのでまったく判らず、不意打ちを喰らうのでめちゃくちゃ痛いです。最終的には主将になって二段まで進みましたが、世の中には信じられない程強い人がいることも体験したので、謙虚であることが一番と身に染みています。
大江工場が会社人生の原点
――三菱自動車を選んだ理由は何でしょうか。
岸浦日本拳法部で監督をしていただいて大変お世話になった先輩が三菱自動車に勤務されていました。本当に強い先輩で、入部当時は蹴られて道場の端から対角線上に転がされたこともあります。こんなに豪快な人でも受け入れられる会社なら、自分も大丈夫かなと思ったのが第一の理由です。また、学生時代に中古車で買ったのが三菱ランサーターボで愛着があったことも理由の一つでした。
――最初に配属されたのはどちらですか。
岸浦名古屋市内の大江工場の勤労課に配属されました。今なら人事部の労政担当といったところでしょうか。最初の1年は研修みたいなもので、2年目は社内報などを担当しました。「兎に角現場を歩け」と指導されていたので工場内をよく歩いていると、多くの作業長から声をかけられ、コーヒーでお腹がいっぱいになる。それだけいろいろな方から話を聞いていました。勤務していたのは3年と少しでしたが、大江工場にはいちばん愛着があります。どこの出身ですか? と聞かれれば、「名古屋の大江出身」と言っています。今も東京ドームで都市対抗野球があるときには、大先輩と飲むことがあります。いつまでたっても一番下の後輩ですけどね。
――その後は田町本社の人事部に異動されます。
岸浦結局、入社して11年ほど人事部にいました。当初は、製作所が川崎、名古屋・岡崎、京都・滋賀、水島と4地区にあり、全地区を制覇しようと思っていたのですが、最初の異動は本社でした。自分では一生懸命働いたので、そこそこやれていると思っていたのですが、何年後かに先輩に「おまえはデキが悪かったから、最初はどうしようかと思ったよ」と言われました(笑)。それに気がつかない自分は鈍感というかポジティブな性格なんだと思いました。その一方、1990年代後半からは会社が大変な時期でもあり、20代後半からいろいろな経験をして鍛えられました。
海外ビジネスで信頼関係を築くコツは
その国で最低1泊し、お酒を酌み交わすこと
――人事部でさまざまな業務を経験されたのち、2007年にはタイに派遣されます。
岸浦このときも人事総務担当として派遣されました。初めての海外駐在でした。タイの拠点は初めて海外から輸出した生産工場として長い歴史があります。港に隣接しており、今でも重要拠点の一つです。リーマンショック時には切った張ったの労使交渉を連日行うなど、現場ならではの緊張感を味わいながら経験を積みました。一方でタイは食べ物がおいしく、現地の方も優しい。家族を連れて赴任して、楽しい時間を過ごせました。
――2011年にはEVビジネス本部に配属されます。
岸浦ずっと管理部門だったので、営業やプロジェクトなどビジネスをやりたいと希望し、タイから帰任した際にEVビジネス本部に配属してもらいました。当時は量産EVの先駆けであるアイミーブを発売したばかりで私はフランスのプジョー・シトロエン・グループ(当時)へのアイミーブの供給を担当しました。本格的なビジネスに携わるのは初めてでしたし、その相手がいきなり欧州人ということで悪戦苦闘もしましたが大変良い経験でした。2014年にはアフターセールス本部で海外アフターセールス部長として北米と中南米を担当しました。ここで本格的な営業を経験することになります。
アフターセールスでは自動車部品を扱いますが、価格交渉や在庫管理がなかなか難しい。注文から販売までを担当しました。ビジネスの基本は信頼関係。特に中南米は現地に行かないと分からない部分も多く、まずは現地の販売会社の方と信頼関係を築き、市場環境は勿論、夫々の国の歴史・文化・考え方なども学びました。
――海外のビジネスパーソンと上手に付き合う秘訣はありますか。
岸浦まず訪問した国では最低1泊し、お酒を酌み交わすことは必須です。次にビジネスの話をするときにウソをつかないこと。そして、相手が困っていることがあれば、それをしっかり聞くこと。対応できない要望が殆どなのですが、兎に角ゼロ回答はしない。一つでもいいから、できることを見つけていち早く対応することです。また、現地で決めてくることも重要です。もちろん帰国後、正式な手続きや上司の承認は必要ですが、現地で決めることが重要なのです。「持ち帰って検討する」では信頼は得られません。正式承認が取れなかった場合は、相手に「ごめん」と素直に謝ります。これで相手に怒られたことは一度もありません。
自働車ビジネスの真髄は
欧州駐在で体得した
――2016年から、今度はオランダに赴任します。
岸浦46歳で欧州統括会社の社長を任されることになりました。今でこそ若い人材も社長を任せられることがありますが、当時は上司がかなり思い切って任命してくれたと思います。本社はオランダにあり、東はウクライナから、北はノルウェーから南はトルコ・イスラエルまで飛び回っていました。「社長」は初めての経験でしたので、張り切り過ぎて失敗もたくさんしましたが、論理的かつ率直に意見を言い合いながらも、相手に対する敬意や信頼を重視する、欧州人のビジネスは大変勉強になりました。
――日本に戻って経営戦略本部で経営企画室長も経験されます。
岸浦会社の方向性を転換するタイミングでした。ただし、これまで経営戦略などやったことがありません。ASEANに舵を切る新たな中期経営計画を策定することになりました。大きな方針転換でしたので、社内でさまざまな意見がぶつかりタフな仕事になりましたが、各段に人脈が広がり、いろいろな勉強ができたことはいい経験になりました。
2020年に中長期経営計画を発表。コロナ渦の中、欧州事業再構築を実行するため再度オランダに赴任しました。事業再構築には一部事業撤退なども含まれていましたので、各国の販売会社との補償交渉は修羅場と言っても過言ではないほどの厳しいものでした。欧州統括会社の現地社員と一緒に誠意をもって対応した結果、最後は欧州人ならではのビジネスのプロ同士の信頼関係によって何とかミッションを完結することができました。この経験は、それまでの人生において最も過酷かつ重要な経験となりました。振り返れば、2度の欧州駐在を通じて、ビジネスの厳しさと奥深さを教えてもらったように思います。
――その後、米州本部長、執行役員コーポレート企画本部長に就かれ、2026年4月に社長に就任されます。
岸浦北米・中南米事業の販売・損益責任を負う米州本部長の仕事はタフでした。特に米国事業は環境規制や関税問題など外部環境の変化も激しく、それらを現地の経営幹部と一緒にスピード感もって取り組んだことは印象深いです。2年間米州本部長を務めた後、2025年4月にコーポレート企画本部長に就きました。他社との協業案件などが主な業務で、全社経営の根幹にかかわる仕事を経験することができたことは大変貴重な経験になりました。2026年1月に社長就任への打診がありました。加藤社長(当時)との打ち合わせが終わった時、「ひとつ言うのを忘れとった。4月から社長をやれ」と言われました。今のタイミングだとは思っていませんでしたが、「分かりました、頑張ります」と即答すると、「1回くらい、固辞せいよ。自分は何回も固辞したのに。面白くも何ともない」と怒られました(笑)。
ひとつひとつハードルを
乗り越えればいいことがある
――今後どういったビジョンで経営を進めていきたいとお考えですか。
岸浦2026年5月に中長期ビジョンを発表し、2030年代へ向けた三菱自動車が目指す姿を明確にしました。今はそれを実行に移すフェーズであり、加藤会長と二人三脚で進めています。これから他社との違いを一段と明確にし、三菱自動車らしさを前面に出し、ブランド力を磨いていく。激しい競争環境のなかでは存在感がなければ生き残れません。幸い、私達にはブランド力のあるモデルや世界トップクラスの四輪制御技術など多くの財産があります。これらを活かしてブランドを強化し存在感ある企業として成長していきたいと思っています。強力な競合を相手に、これまでの延長線上で戦っていてはとても敵いませんので、この3~5年で経営体質を根本的に強化する必要があります。ブランド強化と同時に、コスト競争力を高めることに挑戦していきます。
――最後に読者へ向けてメッセージをお願いします。
岸浦振り返ると、これまで自信を持つというよりも、常に不安を感じながら仕事をしてきました。ただ、あまり先のことで心配し過ぎず、ひとつひとつハードルを乗り越えればいいことがある。そう思うからこそ、常に前向きにいろいろ挑戦してこられたと思っています。困難に直面しても前向きに、ポジティブに取り組むこと、そして、誠実に相手の立場になって考えることを、これからも大切にしたいと思っています。