トップインタビュー

2026.10.01

三菱食品

「三菱食品がいてよかった」
そう思っていただける存在でありたい。
それが、皆さんとともに目指す姿です

三菱関連企業のトップのお考えやお人柄をお伝えする連載『トップインタビュー』。第36回は三菱食品社長の伊藤 和男氏に学生時代やキャリアの話、社長としての会社の目標などについて聞いた。

トップインタビュー メインビジュアル 「マンスリーみつびし」

趣味はゴルフと食べ歩き。英国にもおいしい店はたくさんあるが、日本の飲食店のレベルの高さは別格。

三菱食品代表取締役社長
伊藤 和男(いとう・かずお)

1968年東京都生まれ。1991年慶應義塾大学経済学部卒業。同年三菱商事入社。
Princes Limited Chairman、2018年Olam International Limited Non-Executive Director、同復興支援財団評議員、2024年執行役員 食品流通・物流本部長、三菱食品取締役、永谷園ホールディングス取締役等を歴任し、2026年4月より現職。なお、三菱商事三菱食品事業室長を兼務。

――2026年4月に社長に就任されました。社長のお仕事はいかがですか。

伊藤ありがたいことに当社はお取引先が非常に多く、その多さが業態としての特徴にもなっています。もともと三菱商事で当社を担当しており、分かっているつもりでいましたが、いざ社長に就任していろいろな企業にご挨拶する機会に恵まれますと、その多さとそれぞれのお付き合いの深さを実感しています。お取引先は約6,500社、得意先約3,000社とのお取引がありますので、多くの方々に支えられながら事業を営んでいる責任の重さを、身をもって感じています。

――東京のご出身ですね。

伊藤父の仕事の関係で4歳からベルギー、11歳からは英国で過ごし、高校に入学するタイミングで日本に戻ってきました。父はメーカーで海外営業を担当しており、通算で12年ほど海外駐在していたと思います。ベルギーではアントワープで過ごし、現地の言語はオランダ語に近いフラマン語。親は現地の学校は英語の方がいいだろうということで、インターナショナルスクールに通いました。


よく覚えているのは、登校初日に母がおにぎりのお弁当を作ってくれたときのことです。学校の子ども達の大半はアメリカ人で、おにぎりを見るのは初めてだったと思います。「あいつ、何か変なものを食べている。ブラックペーパーなんか巻いているぞ」。そう言われると自分でも嫌なわけです。そこで翌日からは母に頼んでサンドイッチを作ってもらうようにしました。それから50年以上経った今では、アメリカでもNoriという単語が使われるようになりましたが、時代の変化を感じます。

――幼少期の頃の思い出はいかがですか。

伊藤とにかく変に悪目立ちをしないように、自分の居場所をつくっていく日々でしたが、ある時から、英語が話せるようになって、そこからはよくコミュニケーションがとれるようになりました。周囲はアメリカ人ばかりでしたのでアメリカンアクセントでしたが、その後、小学5年生くらいで英国に行くと、現地の英語に自然となじんでいきました。当時はロンドンの郊外に住んでいて、英国の学校は勉強に熱心で、リーダーシップを育む教育に力を入れていました。そうした環境のなかで鍛えていただいたと思います。

――日本に帰国されてからはいかがでしたか。

伊藤帰国子女の多い国際基督教大学(ICU)高校に入学し、ラグビーをしていました。ただ、強豪校にはほど遠く、指導者もいないような部だったので、生徒達が見よう見まねでラグビーをやっているような状況でした。自由な校風で、ほかにはロック部にも所属し、定期的に開催されていたライブにも出演していました。


幼少期から学生時代まで、日本・海外を転々としながら常に新しい環境に身を置いてきたこともあり、「多様な価値観が存在するなかで、その一部として自分の居場所を見つけていく」という感覚が自然と育まれたと思います。ある意味、耐性がついたともいえるでしょうか。異なる価値観に出合っても、むしろそれを当然のこととして受け止められる。その経験は、ビジネスをはじめ、人生のさまざまな局面で役立っていると感じています。

実業家の修業をしたいと
三菱商事に入社

――大学は慶應義塾大学経済学部に進まれます。

伊藤親戚や周囲に企業オーナーの実業家の方がいて、雇われるよりも自ら事業を担う立場になりたいという思いが芽生えました。当時は今のようなスタートアップとは違うかたちで、ビジネスを意識したり志したりする若者が多かったように思います。


大学生の頃はバブル時代。いろんな学生が企業と協賛して、イベントなどを開催していました。私も忙しくてあまり大学には行きませんでしたが、運動だけは効率的に続けた方がいいと考え、イギリス時代に知ったスカッシュのサークルに入ることになったのです。

三菱商事入社後もしばらくスカッシュを続けた伊藤社長(右)

4年間プレーヤーとして活動しながら、全国の学生連盟の代表として組織運営にも携わりました。学生がのびのびとプレーできる環境づくりに注力し、それまで学生自身が負担していた大会開催費用について、企業に働きかけてスポンサーを募るという新しい取り組みにも挑戦しました。プレーヤーと運営者の両方の視点を持てたことは、今につながっている部分があるのかもしれません。

――1991年に三菱商事に入社されます。

伊藤実業家になりたいけれど、まずは修業を積まなければいけないと考えさまざまな企業を受けるなかで三菱商事と出合いました。商社では三菱商事しか受けていませんでした。


初めて配属されたのは食品トレーディング部。希望していた部署であり、食べることも好きでしたし、仕事のイメージもしやすい分野でした。当時、食品業界は輸入自由化によって、さまざまな商品のわが国への輸入の門戸が開くようなタイミングで、初めに配属された部署もそうした新しく輸入自由化された商品を取り扱うべく設立された部署でした。もちろんビジネスパーソンとしての経験は問われますが、商売としては「よーいどん」で、社内もほかの商社さんも一斉にスタートしているような状況でした。ある意味、昔ながらの慣習がなく若手社員でも比較的早く即戦力になれたと思います。

――新入社員時代に感じた戸惑いはありましたか。

伊藤入社して1カ月ほどたった頃、ふと周囲を見て思いました。20歳ほど年上の経験豊富なチームリーダーであっても、会社で認められている決定権や裁量は、当時の私やほかのメンバーと大きくは変わらないのではないかと。その瞬間、「質的に違う仕事を任されるようになるまでに私はあと何年必要なのだろう」と感じ、気が遠くなったことを覚えています。この先どうなってしまうのかと悩みましたが、「まずは今できる経験を一つ一つ積んでいこう」と気持ちを切り替えて目の前の仕事に打ち込みました。
あのときに投げ出していたら、海外出向やM&Aの推進、事業会社の経営などの新しい機会が巡ってくることもなかったでしょう。あきらめずに経験を積んできた過程で、結果的にさまざまな仕事を任せてもらえるようになり、よかったと感じています。

社会人生活のうち
19年間を英国で過ごす

――30代前半で英国の食品メーカーであるPrinces Limitedに出向されます。

伊藤ちょうど三菱商事が買収して10年くらい経った頃でした。本社との連携はまだ試行錯誤している状態で、若手の連携役として赴任しました。それから19年間、社会人生活の大半を英国で過ごすことになりました。


かつて英国で暮らした経験があり、新しい環境で生き延びていく“転校生魂”が身についていたので、着任時は不安より期待感が勝りました。とはいえ、仕事としての海外赴任は学生時代とは別物。明確なミッションを持つ現地社員のなかに、株主側の出向者としてその中に入っていくのはチャレンジングでした。まずは自分を知ってもらい、「この人と話す価値がある」と思ってもらえる関係を築いていきました。やがて、株主との連携という役割からラインマネジメントを任されるようになりました。信頼関係を構築することの大切さを学んだ時期です。
PrincesはM&Aなどを通じて成長を重ね、最終的には従業員8,000人、工場も15カ所ほどある企業に成長しました。

――2018年に帰国後は本社で本部長を歴任し、2023年には執行役員コンシューマー産業グループCEOオフィス室長に就任されます。

伊藤担当役員が首相だとすれば、官房長官のような役割です。三菱商事が活動する産業は多岐にわたっており、そのなかでいかに存在感を出していくのか。個別の商品や会社のようにタテに掘り込むのではなく、もう少し広い視野で全体を見て、何が見えるのか、どのようなことができるのかを考える立場でした。マネジメントを学ぶうえで、英国で経営の基礎を学び、この仕事で違うレイヤーを見たり、業界を俯瞰したりしたことで、視野が大きく広がったと感じています。

――三菱食品と仕事をするようになるのはいつ頃のことですか。

伊藤英国に行く前から、三菱食品は三菱商事の食品領域において、非常に重要なグループ企業でした。日頃からさまざまな接点があり、一緒に仕事をする機会も数多くありました。日本に帰国した直後は業界の上流の仕事をしており、中間流通からリテールにかけては離れていましたが、この直近の2年くらいは三菱食品を担当する部署(執行役員食品流通・物流本部長)を担当していました。

三菱食品は食のインフラとして
社会に欠かせないプラットフォーム

――2024年には三菱食品取締役に就任されます。将来、ここに社長として来るとは考えておられましたか。

伊藤そういうこともあるかもしれないとは思っていました。いざ社長就任が決まったときは驚きもありましたが、むしろ「そうか」という受け止めで身が引き締まりました。食品業界で仕事をしていると常々、三菱食品“らしさ”を感じることもあります。その“らしさ”とは、組織力や機能を強みに勝負するということです。皆さん紳士的で、真面目で一生懸命。個人プレーで属人的に戦うのではなく、組織力を活用して、大きな仕事をするというイメージです。まさに“組織の三菱”を体現している企業といえます。2025年には三菱商事の100%子会社となりましたが、お互いに良いかたちで仲間同士、長所を享受し合いながら、より強い三菱食品になれたらいい。私も自ら実践していきたいと考えています。

――社長として、三菱食品をどんな会社にしていきたいですか。

伊藤三菱食品は、食のインフラとして、社会に欠かせないプラットフォームとして機能しています。その責任の大きさを感じながらも、食に関わるあらゆる場面で「三菱食品がいるからこそ成り立つ」。そんな存在感を、社員の皆さんと一緒にさらに高めていきたいと思っています。これまで培ってきた機能や強みをさらに磨き込み、半歩先・一歩先を見据えた取り組みを継続することで、三菱食品ならではの価値創出につなげていきます。


そして、何より大切にしたいのは、関わるすべての方々との信頼関係です。お取引先の皆さまが「一緒に仕事をしてよかった」と感じてくださること。インフラとしての機能を果たしながら、人と人との信頼を大切にする――その両立を、ともに目指していきたいと思います。この先も、「三菱食品がいてよかった」と思っていただける存在でありたい。それが、私が皆さんとともに目指す三菱食品の姿です。

――最後に読者へのメッセージをお願いします。

伊藤これからは三菱グループ各社ともさらに連携していきたいと考えています。海外にいたときもそうですが、三菱の看板は強いと感じています。三菱だから一緒に仕事をしたいと考えてくださる方々がいらっしゃいますし、三菱だから提携できているところもある。過去から積み上げてきた信頼に応えられるよう、今後も尽力していきたいと思っています。


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