三菱の歴史

2025.11.27

漫画「岩崎四代と仲間たち」

第9話 ウォルシュ兄弟(前編)

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岩崎四代と仲間たち プロフィール

原作:成田 誠一(なりた・せいいち)
『マンスリーみつびし』冊子時代に連載していた歴史エッセイ『青あるいは朱、白あるいは玄。』著者。本連載はこのコラムの漫画化。

漫画原作:星井 博文(ほしい・ひろぶみ)
漫画原作者、漫画家。『まんがでわかる 伝え方が9割』(ダイヤモンド社)など経済から歴史ものまで著書多数。「なんでもマンガにしちゃう男」

@hoshiihirofumi(X、旧twitter)


漫画作画:上川 敦志(かみかわ・あつし)
漫画家。小学館「少年サンデー」などで活躍。同社の学習まんがシリーズでも著書多数。『小学館版 学習まんが人物館 スティーブ・ジョブズ』(小学館)など。実は女性。


題字:藤田 紅子(ふじた・こうし)
書道家。毎日書道会審査会員、南不乗発会、現日会副会長、高知現日会長、安芸全国書展審査会員。安芸全国高校生書展審査員。

彌之助の米留学を実現させた
貿易商人、ウォルシュ兄弟とは?

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幕末から明治にかけての激動期、日本で活躍した外国商人はトーマス・グラバーだけではありませんでした。グラバーはスコットランド出身の貿易商人だったのに対し、アメリカ出身で初めて日本で成功した商人が、兄トマス・ウォルシュ、弟ジョン・ウォルシュのウォルシュ兄弟でした。

ニューヨーク州でアイルランド移民の子として生まれたウォルシュ兄弟は、アジアで貿易商人になることを夢見ていました。インドや中国で貿易業を営み、明治維新以前の1850年代、ジョンは長崎にやってきて商館を開きます。機械や武器、船舶など近代的な商品を日本にもたらし、樟脳や茶、生糸などを買いつける商売を行いました。

エネルギッシュなジョンは、そのうち米国の権益を代表するような存在となり、米国総領事のタウンゼント・ハリスに任命され、米国の初代長崎領事も務めました。兄のトマスは遅れて来日、横浜や神戸に商館を開きます。 1862年にウォルシュ・ホール商会を設立、次第にグラバーの競合となる大手貿易商社に成長していきます。商館は神戸や横浜とともにアメリカ人居留地1号館にあったので亜米一(あめいち)商会とも呼ばれました。

この頃、岩崎彌太郎はウォルシュ兄弟と懇意になり、多くの仕事を手掛けるようになります。現在、三菱史料館にある彌太郎の最も古いビジネス・レターは、土佐開成館長崎商会時代のもので、1868年、ウォルシュ商会との昆布の取引について大村屋正蔵に確認しているものです。

明治維新から数年後の1871年、彌太郎は長崎時代以来の友人であるジョンの神戸の商館を訪れます。彌太郎はその頃、土佐藩の大阪藩邸の責任者でした。西長堀の藩邸では、これからは世界を相手にしなければならないと、若者たちに英語を学ばせていました。弟の彌之助もその1人でした。彌太郎はジョンにこう相談します。
「じつは……弟の彌之助を米国に留学させたいのだが……」
彌太郎の希望通り、ジョンのおかげで1872年、彌之助はニューヨーク近郊のコネチカット州にある男子校に留学します。彌之助はウォルシュ家に寄宿して、温かい応対を受けながら英語の勉強と社会見学を重ねました。その結果、彌之助の視野は一気にグローバルなものに広がっていったのです。

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