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安芸市長・横山氏インタビュー「三菱との縁は彌太郎さんからの贈りもの」
-三菱ゆかりの地便り 高知・安芸#10-
![]() 「安芸観光情報センター ~彌太郎こころざし社中~」の彌太郎のパネルと。同センターは2020年に三菱グループの協力を受けリニューアル。
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三菱と深いゆかりを持つ安芸市を、3期12年にわたり市長として率いてきたのが、地元出身の横山幾夫さんです。今期(2025年9月2日任期満了)をもって市長引退を表明している横山さんに、安芸市と三菱、そして自身と彌太郎との関わりについて、これまでを振り返りながら、2024年1月に移転・開庁した安芸市役所の応接室で、さまざまなお話を伺いました。
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![]() 「まだ公務が忙しいので、『卒業』のイメージは沸かないんですが」と笑ってインタビューに応じる横山さん。
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横山さん「2013(平成25)年からの3期12年間、市長を務め上げることができたのは本当にありがたいことだと思います。老朽化した公共施設への対応、津波対策や防災・減災を踏まえた保育所や学校などの整備、この新市庁舎の建設など、さまざまな重要課題に『チーム安芸市役所』が一丸となって取り組んできました。もちろん、すべての課題が解決したわけではありませんが、市長として真摯に取り組み、職員とともに将来の礎を築けたのではないかと考えています」
そう振り返る横山さんは、地元安芸市の出身というだけでなく、彌太郎と同じ井ノ口地区の生まれです。郷土が生んだ海運王は、子どもたちにはどのように伝えられているのでしょうか。
横山さん「私の小学生時代はもう60年ほど前になるので、学校でどう習ったかは正直あまり覚えていません(笑)。でも、『岩崎彌太郎は三菱財閥を作った人』ということは子ども心にも知っていたように思います。生家の近くに同級生が住んでいたので、よく遊びに行っていましたね。庭の木でセミを捕ったり、草むらでハミ(※高知の方言でマムシのこと)を見かけたことも何度もあります」
彌太郎の生家が遊び場だったという少年時代の横山さん。通った井ノ口小学校は彌太郎生家からも近く、彌太郎の弟で三菱第二代社長の彌之助、そして長男で第三代社長の久彌がそれぞれ寄付をした碑が残る、歴史ある学校です。現在も、高学年の総合学習などを通じて、郷土を知る自由研究として、生徒たちは彌太郎について学んでいるそうです。
![]() 岩崎家ともゆかりのある母校・井ノ口小学校で児童たちと。彌太郎から受け取った贈りものは、次世代へと繋がっていく。
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![]() 生家の駐車場から妙見山を指す横山さん。「妙見山の星神社への元旦登山は、井ノ口地区の恒例行事。私も市職員時代から、子どもたちと一緒に36年間登りました」
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横山さん「地元へ帰ってくるようにという父親の強い思いがあり、安芸へ戻って市役所に入庁しました。配属先は当時の商工観光課で、最初の担当は市内の観光看板の設置でした。生家の前に彌太郎さんを紹介する看板も建てたのですが、その内容に誤記があり、市民から苦情が届いたのは苦い思い出です」
![]() 少年時代は遊び場だった岩崎彌太郎生家。市職員生活においても欠かすことのできない場所となった。
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![]() 2015年に完成した安芸市立学校給食センター。それまで実施していなかった小学校6校に給食の提供を開始し、子育て世帯への大きな支援につながった。
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2010(平成22)年にはNHK大河ドラマ「龍馬伝」が放送され、生家にも大勢の観光客が訪れました。当時教育次長だった横山さんも、多くの職員とともに駐車場整理にあたったそうです。
岩崎彌太郎という存在が常に身近にあった横山さんは、安芸市職員として三菱グループとも関わりを育んできました。
横山さん「安芸と三菱グループとの関係は、彌太郎さんが時代を超えて繋いでくれた未来への贈りものです。この歴史的な絆を過去の遺産としてだけでなく、安芸市の未来を創造するための貴重な資源と捉えています。現在、そして未来のまちづくりを推進するためのかけがえのない財産です」
安芸市では三菱広報委員会と連携し、「三菱探究プロジェクト」を立ち上げ、彌太郎の功績や三菱グループの高い技術力、多彩な製品、そしてそこで働く人々の熱意に子どもたちが触れる機会を提供しています。
横山さん「参加した生徒からは、『興味を突き詰めることで世界を変えられる』とか、『同じ安芸市出身として誇らしい』という感想が寄せられ、彌太郎さんの存在が子どもたちの郷土愛を育むきっかけになっていると実感しました。これはまさに、『彌太郎さんからの未来への贈りもの』と言えるのではないでしょうか」
![]() 2024年に移転・開庁した市役所の前で。市役所に勤めた年月は46年に及ぶ。
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![]() 取材では2024年に2つの中学を統合して開校した安芸市立安芸中学校も訪問。在任中は学校の整備にも取り組んだ。
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2024年には安芸市と三菱グループのゆかりを紹介するリーフレットを制作。他にも、市民団体によって制作された『岩崎彌太郎さん紙芝居』にはじまり、少年~青年期の彌太郎を描いた漫画が発行されるなど、安芸市ではさまざまな形で彌太郎と三菱グループとの繋がりを深めています。
横山さん「漫画は市民団体とともに企画し生まれたもので、彌太郎さんをもっと知ってもらおうという思いからプロジェクトが立ち上がり、2020年に発行されました。2009年からは市民みんなで彌太郎さんの誕生日を祝うキャンドルナイトのイベントも続けています。市民も三菱に親近感を持っていて、三菱グループの皆さんのことを『安芸市の仲間』だと思っています」
さまざまな機会で三菱グループ関係者と懇親を深めてきた横山さんは、「三菱の方たちはお酒が強い」と笑います。
![]() 「彌之助さん、久彌さんの功績ももちろん大きいものですが、やっぱり安芸では彌太郎さんです」と横山さん。
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横山さん「三菱グループと安芸市との関係は、いわゆる自治体と企業の受発注関係とは異なります。このような関係は非常に特別です。三菱グループの方々が安芸市を訪れた際には、市職員だけでなく、観光協会や観光ボランティアガイドなど市民全体でおもてなしをしています。逆に、丸の内で安芸市の物産展を開催した際に、(安芸市でキャンプを行う)阪神タイガースの安芸バージョンの法被を着て、丸の内仲通りを歩いてくださったグループ会社の方がいたのはとても嬉しかったですね。この12年間、三菱源流の地として、私だけでなく市職員や多くの市民が、三菱グループの皆さんとの関係の礎を築けたのではないかと思っています」
最後に、安芸市長を12年間務めた立場から彌太郎と話をするとしたら、どんなことを伝えたいかを伺いました。
横山さん「『三菱グループ源流の地』というかけがえのない財産を、『時代を超えて繋いでくれた未来への贈りもの』として大切にし、安芸市のまちづくりや人材育成に活かしていかなければならないという強い想いがあることを伝えたいです。彌太郎さんとのご縁が安芸市のまちづくりに与えてくれた影響は計り知れません。今後もこの素晴らしいご縁が、安芸市の未来を照らす光となるよう、市政運営に取り組んでいかなければならないと思っています」
引退後は、ニュージーランドで暮らすお孫さんに会いに行くのが楽しみだと目を細めた横山さんでしたが、その総括には、彌太郎が結んだ絆を、これからも確かなものとして次代へ繋ぎたいという強い思いが溢れていました。
※2025年7月17日掲載。本記事に記載の情報は掲載当時のものです。