0歳1835年(天保5年)
岩崎彌太郎年表
岩崎彌太郎
天保5(1835)年、明治維新まであと33年を残した土佐国安芸郡井ノ口村。生活に困り地下浪人へと没落していた岩崎家の9代目として岩崎彌太郎は生まれました。幼少期は気性が激しく負けず嫌い。一方で儒学や漢学に励み、藩の役人と衝突しながらも24歳のときには初めて藩に取り立てられて半年におよぶ長崎出張を経験。32歳で土佐藩開成館長崎商会の主任になると欧米の商人を相手に輸出入の交渉を担当しました。明治3(1870)年土佐藩から藩船3隻を借り受け、大阪に三菱の創業となる九十九(つくも)商会を設立。以降、三川商会、三菱商会、郵便汽船三菱会社と社名を改めながら海運業における国内外の熾烈な競争を乗り越えていきます。明治10(1877)年に起きた士族の反乱・西南戦争では持てる力の全てを注いで政府軍の輸送に当たり、結果、三菱の海運業は当時の日本で王座の位置を占めるに至りました。
海運業以外にも炭坑・鉱山経営、造船業をはじめ銀行業、倉庫業、保険業など幅広く今日の三菱に通じる事業の多角化を展開した彌太郎ですが、その経営の最大の特徴は、明治初期の時点において個人や会社にとらわれず国家的目的を追求した点にありました。日本に居ながらにして世界を見つめ、今日の三菱の原点となった彌太郎は明治18(1885)年、胃がんにより50歳で永眠し、その葬儀には各界要人をはじめ3万人が参列。三菱の事業は弟・彌之助へと引き継がれてゆきます。
誕生〜青年期
1835〜1854年
- 歴史上の出来事
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- モールスが電信機を発明(1835年 / アメリカ)
- アヘン戦争(1840~1842年 / 中国)
- ジョン万次郎帰国(1851年)
- ペリー、浦賀に来航(1853年)
- 日米和親条約締結(1854年)
19歳1854年(安政元年)
江戸遊学に出る
江戸遊学〜井ノ口村時代
1855〜1866年
- 歴史上の出来事
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- 日米修好通商条約締結(1858年)
- ダーウィン『種の起源』(1859年 / イギリス)
- 桜田門外の変(1860年)、生麦事件(1862年)
- アメリカ南北戦争(1861~1865年)
- ノーベルがダイナマイトを発明(1866年 / スウェーデン)
20歳1855年(安政2年)
江戸で安積艮斎に学ぶ
23歳1858年(安政5年)
吉田東洋の門に入る
24歳1859年(安政6年)〜
31歳1866年(慶応2年)
長崎派遣/郷士格の回復/土佐藩開成館貨殖局に出仕
開成館〜九十九商会時代
1867〜1872年
- 歴史上の出来事
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- 徳川慶喜、十五代将軍に就任(1867年)
- 大政奉還(1867年)
- 近江屋事件 坂本龍馬暗殺される(1867年)
- 王政復古の大号令(1868年)
- 鳥羽・伏見の戦い 戊辰戦争始まる(1868~69年)
- トルストイ「戦争と平和」(1869年 / ロシア)
- 平民に苗字を許す(1870年)
- 普仏戦争(1870~1871年)
- 廃藩置県(1871年)
- ドイツ帝国成立(1871年)
- 新橋―横浜間の鉄道開通(1872年)
- 太陽暦を採用(1872年)
- 福沢諭吉「学問のすゝめ」(1872年)
32歳1867年(慶応3年)
開成館長崎出張所に赴任
34歳1869年(明治2年)〜
35歳1870年(明治3年)
開成館大阪出張所へ異動、九十九商会開設
36歳1871年(明治4年)〜
37歳1872年(明治5年)
廃藩置県により藩吏の職を辞す/三川商会に改称
三菱時代
1873〜1890年
- 歴史上の出来事
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- 徴兵令、地租改正(1873年)
- 板垣退助が民撰議院設立建白書を政府に提出(1874年)
- 台湾出兵(1874年)
- 日本、ロシア帝国間で樺太・千島交換条約締結(1875年)
- ベルが電話機を発明(1876年 / アメリカ)
- 西南戦争(1877年)
- エジソンが蓄音機を発明(1877年 / アメリカ)
- エジソンが白熱電灯を発明(1879年 / アメリカ)
- 国会開設の勅諭(1881年)
- 板垣退助らが自由党を結成(1881年)
- 大隈重信らが立憲改進党を結成(1882年)
- 内閣制度発足、伊藤博文が初代の内閣総理大臣に就任(1885年)
- 大日本帝国憲法(明治憲法)公布(1889年)
- 第1回帝国議会(1890年)
38歳1873年(明治6年)
三菱商会に改称、吉岡銅山を経営
39歳1874年(明治7年)
東京移転、台湾出兵の軍事輸送を受命、三菱蒸汽船会社に改称
40歳1875年(明治8年)
上海定期航路開設、郵便汽船三菱会社に改称、三菱製鉄所を創設
41歳1876年(明治9年)
三菱商船学校設立
42歳1877年(明治10年)
西南戦役軍事輸送受命
43歳1878年(明治11年)
三菱商業学校設立
44歳1879年(明治12年)〜
45歳1880年(明治13年)
東京海上保険会社の設立を援助/三菱為替店設立/千川水道会社設立
46歳1881年(明治14年)〜
47歳1882年(明治15年)
高島炭坑を買収/明治生命保険会社の設立を援助
48歳1883年(明治16年)〜
49歳1884年(明治17年)
共同運輸会社開業、三菱会社と競争/工部省長崎造船所を借用
共同運輸が営業を開始すると、たちまち三菱との熾烈な競争に突入する。共倒れを危惧した政府の仲介で両社は合併を決定。明治18年に日本郵船が発足する。
50歳1885年(明治18年)
2月7日、病のため永眠
(年齢は西暦の誕生日における満年齢)